FC2ブログ

ギャラクシアン創世記 -澤野和則 伝-

sawano.jpg


この本はゲーム史であると同時に、澤野和則の一代記ともいえる一冊。
今回は章毎に分け、別枠を設けているタイトルにも触れたいと思います。
(前半の章は前後する部分が多いので、幾つか纏めていますが。)


第1~2章 本人の生立ち

子供時代のアナログな遊びでも、物理的にかなった攻略法をあみ出していたり、
初期のエレメカも、ガンシューティングの構造を見抜いて攻略したり、観察眼に
天性の才能があったのかも知れません。

人生の選択を面白いか面白くないかで全て判断しているというのも凄い考え。


エレメカのガンシューティング構造の参考動画。

日本ピンボール博物館(エレメカ紹介部分のみを範囲指定しています)


第3~5章 中村製作所入社~ナムコに社名変更直後

ビデオゲームはアタリの輸入のみで、まだ自社開発はしていなかった頃の話
なので、エレメカの製作話がメインになっています。
(本誌ではアタリ作品にも幾つか触れていますが、ここでは割愛。)

この時代はまだ業界全体がエレメカ主体で、ビデオゲームは言うなればエレメカの1ジャンル
に過ぎず、やろうと思えばエレメカで再現可能どころか、ビジュアル面でも優位に立っていた。
(まあ実現可能とはいえ、ギミックが増えれば増えるだけコストがかかるし、故障率も上がるし、
メンテナンスも大変になるしで、追い越されるのも時間の問題だったともいえるが。)

あと、エレメカから出る強力なノイズで、ビデオゲームに影響するという話も載っているので、
その点でも相性が悪く、オペレーター受けが悪かったかも知れない。


レーサー/フォーミュラX/F-1

他社の投影式のレースゲームは、道路も敵車も全て平面で描いていたものに対し、
ミニチュアを使い、立体的に見せるどころか実際立体に配置するという大胆な構造。

更には、この構造では市販の電球を使うと光源が強過ぎて画面がぼやけるので、
特注のランプまで開発して、くっきり表示できるようにしたという。

もしかしたら他社はこの投影の問題で立体配置を諦めていたのかも知れません。
(実際、F-1をパクったゼットマシンは市販の電球で微妙だったというし。)


本誌の写真だとF-1の構造がわかりにくかったので動画で探しました。

Atari / Namco F-1 1976 arcade game - YouTube

しかし、当時の電球なんてとっくに切れて、今更F-1用の特注のランプが手に入るはずもなく、
市販の電球で代用するしかないという事情もあるので、この動画も市販の電球を使っていて
光源が強すぎるため、中の機構も実際の画面も判りにくくなってしまっています。
(多分現存している筐体は全て同じような境遇に遭っていると思われる。)

この爆発処理もこんな単純な仕組みで凄い効果を発揮している。

で、自分はこの爆発グラフィックが印象に残っているから、当時みていたのはF-1かな。
(実際にプレイした回数はせいぜい1~2回だったと思うが。)

しかし、この本にも載っている当時のF-1の広告の胡散臭さは凄い。
この計算式が結構無茶苦茶。プレイ時間が1回85秒で、一時間(3600秒)で割って、一日を
8時間で換算してこの売上げ!……て、プレイヤーが交代する時間は無視か!


シュータウェイ

本物と同じ銃が用意出来たという点も、この本で詳しい経緯が載っているのですが、
これは他のメーカーじゃまず入手不可能な事だと思えるし、画面表示のシステムも
特殊で真似する事が難しいようで、ほぼ独占状態だったのではないかと思います。
(自分の当時の記憶でもと、F-1よりもこちらのほうが置いてある所が多かった印象だし。)

しかも本物を使っていただけに壊れにくかっただろうし、機構のメンテナンスもし易く
作ってあるので、壊れるまで置いておこうというゲーセンも多かったと思います。
(実際長く置いてあって、スクリーンが焼けているようなとこもあった覚えが。)

コスモスワットが全然出回らなかったのは、シュータウェイが長寿すぎたのも一因かも。

遠山本の感想でも触れた事ですが、開発側としてはずっと人気があるのは喜ばしい事でも、
営業側としては新作が入れられないのは喜ばしくないというジレンマがここでもありそう。
(まあ、早々と人気が無くなって不良在庫になるよりはいいだろうけど。)


コロレット/スターレット/フルフェイス/海賊島

フルフェイスはルーレットで顔パーツを揃えるという、これだけだと?って感じですが、
これの発展形で有名(?)なタイトルでは、こやまの合体ロボV(ファイブ)に近い。
フルフェイスはそれの元祖といったところ。

しかし、フルフェイスはプレイした記憶が無い。まだ幼ない頃でルールを理解できなかったのかも。
(逆に、合体ロボVはかなり遊んだ記憶がある)
もし、幻のドラえもんバージョンが発売されていれば、情勢は大きく違っていたかも知れないが。

海賊島はプレイしていた記憶があり、設定は奇抜だけど見た目でルールが分かり易かった。

コロレット、スターレットは良くも悪く普通のルーレットで、殆ど記憶に残ってない。


ゼロセン

背景が印刷だと綺麗に反射されないので、一つ一つ手書きだったというのも凄い。

自分は実は見たことが無く、これの後継にあたるゼロインの筐体はよく見かけたけど、
結局プレイした事は無く、気持ちは既にビデオゲームのほうに傾いていたのかも。


サブマリン

爆発の火柱処理に不凍液(を使っていたらしい)でリアルな描写をしたというのも凄い。

動画を探したけど見つからなかったので、エレメカセンターのリンクを貼っておきます。
http://bandainamcoent.co.jp/gallery/ayumi/archive/elemecha/index.html
これの動画を見ても爆発の様子はよく分かりませんが。

こちらもプレイした記憶は無く、もしかしたら単純に身長が届かなかっただけな気もする。


あと、他に沢野さんが関わった没ゲーも紹介されていますが、どれもこの本て初めて
存在を知ったタイトルなので、詳細は本誌で確認することをオススメします。


ng1.jpg
NG総集編もエレメカリストが貴重



第6章 ビデオゲームに本格参入

そしてついに、この本の主題でもある
ギャラクシアンの登場。
(ブログの感想もこの章が中核で、一番長くなっています。)。

ナムコはこの当時、アタリのビデオゲームをポンの時からずっと輸入販売をしていました。
初期のアタリはビデオゲームとはいえ、ディスクリート使用の単純なゲームが殆どでしたが、
1976年からCPUを使うようになり、スプリント2、タンク8、ナイトドライバーなどが登場。

ビデオゲームの表現が飛躍的に上がり、これらを見て、ナムコもこれからはビデオゲームの
時代になると確信をしたものと思います。


クレイチャンプ

ビデオゲームの話の前に、この章であと一つエレメカが入っているので、軽くコメントを入れます。

シュータウェイのアップライト版とも云えるこのゲームで、機構をここまでコンパクトに。

しかし、シュータウェイのほうは本物の雰囲気が味わえるという点が大きな売りだったのに、
それが無くなってはゲームは単純だけに飽きられのも早く、人気は今ひとつだった模様。
(筐体自体は結構売れたようですが)

もしかしら、これもビデオゲームメインにシフトするキッカケの一つになったのかも知れません。

ちなみに、クレイチャンプといえば何故か'80年台後半に近所のバッティングセンターに突然入荷
されたが、プレイする人が殆どおらず、早々と消えてしまったのが悪い意味で印象に残っている。



ジービー/ボムビー/キューティーQ

ナムコ初のビデオゲーム、ジービーの誕生。

この頃アタリはCPUに6502や6800を使っていたが、それに追従はせず、8080で開発。

が、まだナムコならではの(片鱗は見せているものの)独創性をあまり感じる事が出来ず、
ブロック崩しブームで乱立された中の一つに留まり、ブレイクとはいかなかったようです。

更に追い打ちをかけるが如く、インベーダーブームも来てしまったのも大きな要因か。

ボムビー、キューティーQの頃も、既に生産の殆どがギャラクシアンで、出回りは悪そう。
実際不良在庫を結構抱えていたようだし。

自分はジービーは当時見たことも無く、ボムビー、キューティーQは記憶が曖昧だが見たことは
あったかもって程度で、プレイした記憶は全く無い。



ギャラクシアン

そして満を持して、ギャラクシアンの登場。

ナムコがコピーは勿論インベーダーの許諾品も作らなかったのは、著作権を重視しての事
ではなく、単純に面白いモノが創りたい (既存のモノをそのまま作っても面白くない) という
考えが大きく、インベーダーを超えるゲームはナムコが創ると奮起して、ここまで作り上げた。

CPUもZ80に変更し、ついにビジュアル的にもエレメカに負けないレベルのグラフィックになり、
これがビデオゲームメインにシフトする決定打になったといえるでしょう。。

企画が先で、それに見合うハードを設計というのは。エレメカから培ってきた礎かも。
(もし、関西精機がビデオゲームに移行していたら、どんな勢力図になっていただろうか。)

ハード設計の経緯も詳しく知りたかったところですが、ハード開発には関わらなかったそう
なので、この本ではハードについてはそこまで深く突っ込んではいません。
(関わらなかったのはエレメカのハード設計と比べたら面白く無いと判断したのかな。)


改めてこの本で知ると、ゲーム内容だけでなく、動きのなめらかさ、画面のインパクト、
サウンド面も含め新世代を予感させるゲームだったと思う。
特に敵の動きが機械的にならず、知能があるかの如く動かす工夫が随所にみられ、
そこまで拘ったゲームというのもギャラクシアンが初かも知れない。

あと、企画では斜めに降ってくる隕石なども考えていたが、無駄と判断して没にしたというが、
奇しくも、ムーンクレスタで斜めに落下してくる隕石が登場して、これは果たして偶然なのか?

しかし、当時のマニアの心はガッチリ掴んだものの、それでもインカム面でインベーダーと比較
され、オペレーターの受けが悪かったそうで、インベーダーの化物ぶりがどれだけ凄かったか、
改めて思い知らさたという。

インベーダーはロングヒットに繋がる凄い強運にも恵まれていたというのも大きい。
(この本の内容から脱線するので詳細は省きますが)


それと、ギャラクシアンとえば、コピーも大量に出回った事も有名。

製造許諾もかなり出してコピーを抑えようとはしたものの、肝心のオペレーター側がちゃんと
区別できていたがと言われれば疑問。(ゲームセンターあらしを見る限り認識してなさそう。)
改造されてつまらなくなったモノを掴まされた、批判していた例も多かったのかも。

ちなみに、許諾を得て作っていたメーカーは、どこもビデオゲーム全盛期まで健在し続けて、
無許可で出してたところは殆どが全盛期まで残っていないというのも因果応報な感じ。
(まあ、実際は社名変えて誤魔化してトコもあるだろうけど。)

あと、沢野さんはコピーされるって事はそれだけゲームが優れているって事の証明という考えも
持っていたので、コピーを一概に非難していないのも面白い。。
(尚、現実はこんなマイナーなクソゲーまでコピーがあるのかってくらい無差別だった模様。)



キング&バルーン

これの開発も意外な経緯で、ギャラクシアンとほぼ同時に沢野さんが企画。
キング&バルーンのほうが1年も遅れて発売したのは、やはりギャラクアンが
ヒットしすぎて、製造を全てギャラクシアンに回した可能性が。

以前にも書いた気がしますが、自分は当時あまりギャラクシアンには食いつかなかった。
(近所に入ったのが遅かったのもあるし、まだ右も左もわからないようなお子様の頃だったし。)

で、どちらかといえば当時はキング&バルーンのほうを好んでやっていました。
当時の子供はグラフィックより、ゲームがしゃべってるほうがウケが良かった気がします。
ドンキーコングより、ホヤッて言うクレージーコングのほうがウケが良かったりとか。)

余談ですが、ギャラクシアンと同時期のゲームではアストロファイターにかなりはまっていた。
その時代のビデオゲームで、個人的にデータイーストはナムコに次ぐレベルだだった思う。
(ちなみに、この頃のデータイーストは6502CPUをメインに使っていた。)



パックマン

沢野さんの企画ではないので、本誌でも軽く沢野さんの感想だけに留まっています。

自分が子供の頃、近所の店はどこも純正のパックマンが無く、置いてあるのはハングリーマン、
ポパイマン、ピラニア
とかで、多分プレイ回数的には偽物のほうが多かったと思う。
(ついでに言うと、パックマンよりヘッドオン派だった。)



ミニゴルフ

これは没作品で、残念ながら基板は現存していない模様。
(アタリのミニゴルフは無関係)

なにげにナムコって、アーケードじゃゴルフゲームを(エレメカを除き)1本も出してない。
プロゴルフグランドスラムというのも開発していたが、それも結局没ったし。

当時はミニゴルフが没作品だったなんて知る由もなく、MSXで出たときはゲームセンターシリーズ
なのに何故?って思った。当時のバイブル、オールアバウトナムコにも載ってなかったし。

まあ、今オールアバウトナムコを見返すと、実はいろいろ抜けている情報もあるのですが。
ナバロンも載っていなかったから、結構最近まで外注だと思っていたし。)



タンクバタリアン

安価な基板(というか不良在庫の再利用?)で作られて、あまりパッとしなかったが、
自分は意外とハマってた。
(ついでに言うと戦国の自衛隊にもハマッてた)

ナムコは後にテスト基板でタンクバタリアンをモチーフにしたのは何故なんだろう。



ラリーX/ニューラリーX

ポールポジションの企画が先にあって、そこから発展してラリーXになった事に驚き。

最初は8方向レバーの企画で、この本に載っている企画書の画像だと、斜めの道や
立体交差まであって、これはこれで、実際出来たらどうなっていたか気になります。

壁抜けしちゃうバグも8方向から変更した事が影響しているのかな。

ラリーXといえば、多分他の人と違って、珍しい事だと思いますが、近所には旧が入ったあと、
ずっと旧のまま置いてあって、確か最終的にニューラリーXになる前に店から無くなった。

当然、別の店にはニューラリーXが入っていたので、当時周りでは旧ラリーXの事を「偽物」とか
そんな感じの蔑称で呼ばれていました。(更にその店、隣はジグザグだったし。)



ボスコニアン

ラリーXと共通部分が多いですが、これもギャラクシアンとキング&バルーンのように
対になって企画されたようです。新旧バージョンがあるのも何か似ている。

しかし、沢野さんはギャラクシアンをA面、キング&バルーンをB面と例えていますが、
ラリーXとボスコニアンではどっちがA面のつもりだったのだろうか。

前述までで、幾つかハマっていたと書いているものもありますが、ナムコで自分がガチハマり
したタイトルは実はボスコニアンが最初だったりします。

初めて見た時の印象はまず、ボスコニアンはインストカードが他のゲームよりでかくて凄い
豪華に見えたのと、あの音声合成で更に凄いゲームに感じた。

で、256面到達まではやってないですが、かなり長持ちして100面近くまではやっていたので、
もう少しやり続ければ256面到達も夢ではなかっただろう。


そして、ボスコニアンはMSX版にもハマっていたし、X68000版にもハマっていた。

X68000版はアレンジモードこそ至高だけど、オリジナルモードは音があまり似てないのと
グラフィックがアレンジモードのままだったのが残念だった。
(もっと後期に出ていれば、完全移植に拘っただろうに。)

ちなみに、アレンジモードは確か2回目のプレイで全48面クリア出来ました。ちょっと簡単すぎ?
(1回目も試しにちょっとやった程度って感じだし。)



ワープ&ワープ

この頃の他のタイトルと比べても、基板が古く、音もグラフィックも見劣りしますが、
あまり気にせずプレイしていた覚えがあります。BGMも何か耳に残る。

ハドソンの爆弾男が、このゲームの影響を受けて作られたかどうかは分かりませんが、
この爆弾システムが後にここまで発展するとは。(まあこれはハドソンの功績だけど。)

エクスバニアのオーブをワープ&ワープのオマージュというのは無理があるし。


と、いったところで、この章の話が凄い長くなってしまいました。
まあ、この章がある意味、この本の肝とも言える章だし、長くなるのも自然の摂理。


68_bosconian.jpg
ボスコニアンはデザインも完璧



第7章 そして伝説へ

そしてついに、他のメーカーより遥か未来を行くナムコ黄金期が始まる。


ディグダグ

ゲーム的には結構シンプルで、ヒットするか疑問に思うのも無理もない内容だけど、
これはキャラクターの作りがうまかった。
デザインだけでなくアルゴリズムも秀逸だったので成功出来たのだと思う。

これもそこそこプレイしましたが、どちらかといえばMr.Doのほうが好きだったりします。
でも、Mr.Doもディグダグの下地が無ければ、ルールの良くわからないゲームとして一蹴
されて終わっていたかもしれない、結構冒険したゲームだと思います。

あと、ディグダグとほぼ同時期に、ザ・ピットという物議を醸しだすゲームも出ましたが、
これは流石に偶然似たようなシステムになっただけだと思います。
(海外じゃまったく同じ月に発売だし。)
この当時にしてもグラフィックや音はかなり貧弱。だけど、これも何気に結構プレイしていた。

なんだかんだでディグダグ、Mr.Do、ザ・ピット(と、ディグダグⅡ)はどれも同じ回数くらい
プレイしているかも。って、殆どディグダグの話ではないですね。



ポールポジション

ギャラクシアンを企画していた時点でもう、ポールポジションの構想を練っていたと
いう事に驚き。そして、これが再現出来るハード、ソフトがやっと追いついたという。
このシステムを追従できるメーカーがなかなか出てこれなかったから、それだけ
斬新なシステムだったといえます。

3Dのレース自体はこの一年程前にセガターボが出ていて、これも処理は凄かったけれど、
ラスターによるカーブの表現はなく、トップビューのレースゲームの延長でしかなかった。

最初に追従したのはTX-1だと思うが、それでもポールポジションから1年以上後。
しかし、TX-1の出来もかなり良く、ポールポジションからうまく進化した感じ。

そして奇しくも海外では、ポールポジションもTX-1もアタリが販売しているという。
(もしかしたら、当時海外ではTX-1がポールポジションの続編と思われていたりして。)



ゼビウス

これはもう、今更アレコレ言う必要のない誰もが知る金字塔。

しかし、プレイヤーからは絶大な支持を受けていた本作も、オペレーターにとっては
インカムの悪いゲームとして敬遠され、営業的には失敗という意外な事実が……。

元のアイデアが実はスクランブルから来ていたというのは面白い。
単純にスクランブルをトップビューにしてみたという。でも地対空撃ち分けという要素以外、
スクランブルにあった要素はほぼ全部排除していて、システムはかなりシンプルという。

余談ですが、ナムコって横スクロールのシューティングを殆ど出していない。
スカイキッドは横シューとしてはちょっと特殊だし、オーソドックスな横シューとしては
オーダインくらいしか無いような。

そして、実はセガも横シューは結構少ない。(正確には販売点数は多いけど、大半は外注。)
ファンタジーゾーンシリーズやスペースオデッセイはちょっと特殊だし、オーソドックスというと、
アストロフラッシュくらい?

ちなみに、セガは縦シューも同じように、大半が外注で、自社製はかなり少ないという。
自社製のシューティングは大半は3Dという結構特殊なメーカーかも。

って、殆どゼビウスというか、ナムコの話ですら無いですね。


aanamco.jpg
持参してゲーセン行ってたのでボロボロに



第8~9章 アーケードを一時離れ、PC事業の開発

m5(ソード)

m5のソフトや、MSXのゲームセンターシリーズは実はナムコ内製の移植だったと
いう事も結構最近まで知らなかった。
(あまり気にしてなかったともいえるが)

何故m5で?と疑問だったが、実はタカラ側から申し出があって承諾したという。
当時スタッフは趣味(?)で勝手移植とかしていたそうで、多分その時に既に作っていたものが
あったから承諾したのかも知れないですね。

で、タカラの判断は正しく、m5が好調な売れ行きだったのはナムコの力が大きいと思う。
但し、その1年後にMSXが出てくるとは予想できなかったようで……。

ちなみに、自分はm5は持っていなかったし、当時まわりにも持っている人が居なかった。
m5は触った事すら無いので、語れる事も何もありません。


そして、ナムコのPC事業はMSXに移行。

しかし、MSXで作っていた頃はには気持ちは完全にファミコンに向いていたようで、
第11段のミニゴルフあたりからやる気が感じられなくなるのはそのせいか?

それ以後も外注に(安く?)丸投げしたせいで、移植度うんぬん以前に完成度が低い。
ゼビウスだけは例外で良く出来ていたけど(まあ、これはコンパイルの功績だが)

とはいえ、それ以前は出来の良いタイトルも多く、さすがは内製の移植だけある。


で、自分はMSXは持っていて、まわりにユーザーも結構多かったので、思い出も多いです。

MSXのゲームセンターシリーズといえばやはりボスコニアン。これが一番遊んでいました。
多分このシリーズで一番アーケードに肉迫した移植だと思います。
もしかしたら、これをMSXの作り納めで考えていたのかも知れない。

改めて見てもこの移植度は凄い。音声合成(「ブラストオフ」のみだけど)もあるし、
8方向へスムーズにスクロールするのもMSXの性能を考えたらかなり凄いレベル。

それと、キング&バルーン、タンクバタリアンは、アレンジ追加でアーケード以上の出来に。

まあ、この2タイトルはアーケードの時点でもちょっと足りない感はあったけど。
(それを言ったらワープ&ワープもだけど、それはアレンジも無く普通な出来だった。)

タンクバタリアンは、スタート/ゲームオーバーのBGMが新たに追加されていて、
後にバトルシティーでアレンジして使っているし、パワーアップ要素も継いでおり、
いわばプレバトルシティーといった様相を呈している。

そしてキング&バルーンは、チャレンジングステージ(ギャラガのアレ)が追加され、
流石に単発じゃ厳しいだろうと思ったら、この面だけ連射可能になるという。

この辺のアレンジの経緯も気になりましたが、沢野さんはあまり絡んでないのか、詳細は不明。


満を持してファミコンへ参入。

ギャラクシアンは、スタッフが独自にファミコンを解析、ほぼ1人で作り上げたという。
まあ、このギャラクシアンの出来を見たら、そりゃ気持ちも傾くのも納得。

改めて見ても、ファミコンの制限を考えたら、第1段からコレって相当凄い。

この頃からだんだん自社製ハードを出したいという羨望が湧き始めたようです。


fc_galaxian.jpg
まさに記念碑的作品



第10章 アーケードの現場に復帰

これまでは常にナムコが先導し、業界を引っ張っていた感じだが、この辺りから少し
ブランド力が落ちたというか、他のメーカーもナムコに追いついてきたという感じ。

この頃アルカノイドの大ヒットで、業界にリメイクブームが起こり、ナムコもそれのあおりを受けて、
'87年後期に出したタイトルが、クエスター、ギャラガ'88、パックマニアと、どれも手堅い
作りで面白くはなっているけど、ナムコのブランドとしてはどうなのかというラインナップ。

会社が大きくなりすぎて、営業の声が大きくなり、開発とのズレを感じるようになってきた。

ただ、売上的には成功していて、こんなところにもプレイヤーとオペレーターとで見方に大きな
差が出るのもアーケードゲームの特殊さ故か。



ファイナルラップ

しかし、これで終わらないのがナムコで、この次に登場したのがファイナルラップ。
この章でもファイナルラップについては大きく扱っています。

これもある意味リメイクで、本人も「ポールポジションに通信対戦付けただけ」と言っちゃってる
くらいだが、その通信対戦機能が凄い効果を発揮。
(この本で初めて知ったけど、アーケードで通信対戦付けたのはこれが世界初だそうで。)

レースゲームだからプレイ時間もほぼ決まっているし、それでいて複数人同時プレイが多いから
プレイヤーにもオペレーターにも受けがよく、実際これでナムコは相当稼いだようです。

次の章で新ハードの着手になりますが、ファイナルラップの恩恵は結構大きかったのかも。


finallapp.jpg
ネタ探してたらポスターが出てきた



第11章 ポリゴン研究の始まり

正にポリゴン時代の幕開けというか、黎明期といったところ。
ここではセガとの一騎打ちの様相を呈していて、セガの話もちょくちょく出てきます。



テトリス(セガ)

ポリゴンの話に行く前に、テトリスを断った理由などもこの章で触れていて興味深い。
(これもある意味セガ絡み?)

しかし、断った理由はテトリスの良し悪し云々ではなく、会社が大きくなりすぎたせいなのかも。

でも、もしナムコから出していたら、下手すりゃアタリ版がベースになって、ここまでのメガヒット
になるモノは作れなかったのでは。と、個人的には感じています。



ウイニングラン/ユーノスロードスター/DS-5000

そしてナムコはポリゴンボードの開発にいち早く着手。

まだ手探り状態といえる状況なのに、第一弾からウイニングランが出て来る事が凄い。

ユーノスロードスターはディーラーに置かれたもので、DS-5000は自動車教習所に
置かれたもの。これらを詳しく解説したのは、この本が初めてではないだろうか。

ちょっとこの2つは自分の中でごっちゃになっていましたが、今回しっかり把握できました。
ミラーに当たる部分にもモニターで表示する驚異の6画面筐体はDS-5000のほうだったか。

しかし、DS-5000は基板を7枚も使った贅沢仕様で、一台いくらするのか想像もつかない、
バブル時代ならではの筐体。一体何台出回ったのだろうか。



ギャラクシアン3

これが一番バブルを象徴する作品。これを作るためにアーケードのラインが止まり、
調べたら、花博は'90年4月開催で、'90年1~4月間の新作はマーベルランドのみ。
(これも花博合わせで強行して作ったため、ボス戦があんな事に……。)

最初はギャラクシアンというタイトルではなく、全く意識していないで開発していたが
社長の一声でギャラクシアン3になって、現場は相当混乱したというのも面白い。

まあ、結果的にギャラクシアンと無関係でも、プレイヤー側は特に気にしなかったようですが。

ちなみに、ギャプラスの海外版のタイトルは、ギャラガ3ですが(これもどうなの?って思うが)
順番からいったら、ギャラクシアン3のほうが妥当で、これがもしギャラクシアン3ってタイトルで
出ていたら、花博版はどういう名前になっていただろうか。



スターブレード

営業側からギャラクシアン3の一人用版を作って欲しいという要望で作ったパターン。
にもかかわらず、ここまで完成度を上げたのは凄い。

(ソルバルウはどっちからの提案だったのだろうか……。)



リッジレーサー

これの登場は本当に衝撃的だった。
(特に自分は事前情報無しでAMショーで初めて見たから尚更。)

ここでもセガとの奇妙な絡みというか因縁が付きまとうという。

こうして見ると、ナムコは時代の節目毎にレースゲームの新たな未来を切り開いてる
という事が、今回のこの本で改めて感じました。

しかし、この時点では世界でも頂点だったのに、ナンバリングを重ねる度に他のメーカーの
レースゲームにどんどん追い越される感が拭えない。

ちなみに、自分はどちらかといえばデイトナUSA派だったりします。
思い返してみると、やってたドライブゲームってセガが多かったかも。


ridgerac.jpg
これがリアルタイムで動くと言っても疑われた時代



第12章 プレイステーション参入

この本がプレステの話まで及ぶとは思わなかったので、実情が知れたのは儲け物。
ソニーとナムコが組んだ経緯で、当時のスタッフの話が聞けたのってこれが初では?

当時ナムコが次世代機を開発していたという噂は有名で、開発していたというのも事実ですが、
家庭用ハードの自社開発をやめ、ソニーに乗っかったのも蓋を開けてみれば至極単純な理由。

ソニーが意外と消極的で、ナムコが出したアドバイスってそこかよ!って感じでいろいろと
興味深い内容でした。この事実を読んだ後に出回っている噂のほうを改めて見てみると、
実際とは真逆の事が書いてあったりして、それもまた一興。


あと、この章はプレステの事だけでなく、アーケードの事も触れています。
以前の遠山本とタイトルが被る部分もあるし、ここでは簡単に触れるだけに留めます。


ガンバレット

企画の時点では営業に猛反発を喰らっていたそうですが、ここでも澤野さんの先見の明が発揮。
周囲の反対を押し切って作った結果が大ヒット。個人的にも感謝感激雨霰。


プロップサイクル

これは営業も行ける!澤野さんも行ける!マスコミも味方につけて行ける!てハズだったが……、
ヒット作を生み出すというのはやはり一筋縄では行かないという事か。


鉄拳

これもプレステのロンチタイトルとして開発していたとは、この本で初めて知りました。
またここでもセガとの奇妙な絡みが。


トーキョーウォーズ

ヒットしたってイメージがあまりないけど、オペレーターの受けは良く、営業的には成功の模様。
自分は実は1回しかプレイしたこと無く、しかも1人プレイだったのでいまいちだった。


namcomuseum.jpg
ナムコミュージアムも資料的価値が高い



第13章 アーケードビデオゲームの衰退

不況知らずといわれたゲーム業界も、ここに来て不況の影響が如実に表われてきた感じ。

ユーザー層にも変化が出てきて、プリクラやプライズ機がメインになってきた感もあり、
ビデオゲームは何を作ってもパッとしない状況。そして、だんだん冒険も出来なくなり、
無難なゲームばかりになる悪循環。

自分もこの頃にはゲーセンにあまり行かなくなったというか、ゲーセン目的で出かけるという
事は無くなり、別の用事のついでにちょっと寄る程度になってしまった。


bihada.jpg
ナムコもプリクラ的な物を出していたとは



第14章 ナムコを退社

時代の流れに沿って凡庸なモノを作るのは面白くなかっただろうし、ナムコ側が求める物と
澤野さんの考えのズレが大きくなって、居る必要が無くなったと感じたのかも知れません。

結局、澤野さんが去った後も、ナムコは回復出来ず、バンダイと合併する事となりましたが。


しかし、新会社を設立も、開発費は増える一方、資金は減る一方で、ナムコが当時どれだけ
凄かったのかを改めて痛感したという。

結局、携帯コンテンツをメインで進めるも、この頃の携帯じゃスペック低すぎてやりたい事も
出来ず、結局は会社を畳むことに。そして再就職した先も経営難で倒産という。


第15章 再起

だが、ここで終わらないのが凄い。ここでも先見の明が生きて、運も味方につけた。

会社は畳んでも登記は消さずに休止状態で残していた事。
再就職した先にやる気のある優秀なスタッフが多く居た事。

そして出来たのが「アクリア」
(失礼ながら、自分はこの本の企画でこの会社を知りました……。)

ここが凄いのは、澤野さんのコネには頼らず、完成度の高いゲームを作って実力で
信頼を勝ち得たというところ。検索すると堅実な作りで評価の高いゲームが多い。
(自分がプレイした事のあるタイトルは無かったので、感想は書けないですが。)



終章

こうしてみると、今でも開発側はどこも新しいゲームを生み出したいと考えている。
が、新しいモノを創っても失敗したら潰れるって状況で、今の購入層を見る限り十中八九失敗
するというのでは、全く冒険できない。これじゃ日本のゲームが衰退の一途を辿るワケだ。

それでも、澤野さんはどこかに復活の道筋に繋がる抜け穴が必ずあると信じて、ゲームの
開発を続けているので、こういう人が業界にいる限り、復活に望みはあると信じます。
ただ、ユーザーの意識が変わらない限り、厳しい事に変わりはないと思いますが。

て、ゲームを買わなくなった自分が言っても説得力も何も無いですが。
(まあ、今年買ったゲームもあるのですが。)

でも、自分はVRやMRには、まだゲームに新しい可能性があると期待している。
(購入を検討しているというのも事実。)


namco50.jpg
ナムコの最期は50周年だった



最後に資料集

インベーダーの分析資料、ギャラクシアンの企画書、PCソフトの事業計画書、
資料編2は他紙のインタビュー記事などが見られます。


インベーダーの分析資料

ゲームの分析だけでなく、そこから売上の分析をここまでやるかってくらい綿密に
調べ、それを相当理系寄りな文章で説明。これなら文系もコロッと騙される(おい)


ギャラクシアンの企画書

企画書の時点でここまで細かく設定して、しかもそれをほぼ忠実に実現している。
没ネタや、発売版と全然違う初期のキャラドット絵なども見る事が出来ます。


PCソフト(MSX)の事業計画書

これは具体的な数字や金額まで書いてあって、本来なら絶対社外に出せない代物。
(何気に没タイトルが一つあった事も判明。)
この資料一つ取っても相当な価値があります。本当に載せて大丈夫か心配になるレベル。


資料編2

最初のインタビュー記事の時点で既に1988年。
この時代になってやっと、開発者の顔を表に出しても許されるようになった頃。

これは引き抜きを恐れての事だったかも知れないが、実際は引き抜きではなく、
引き抜かれるような人は、本人の意思で会社を選んでいるというのが事実。

引き抜きではと囁かれた噂も実は本人の判断だった例も多く、この本を読むと
そういう話もわかってきて、新たな発見になります。




最期に

相変わらず自分語りが多いので、この本の魅力が伝えられたのかは謎ですが、
極力内容のネタばらしはしないように濁している部分も多いので、詳しい内情が
知りたい方は、実際に本を手にして確認してみる事をオススメします。

という事で、凄い長い記事になってしまいましたが、ここで締めたいと思います。
(でも、長くなればなるほど記事を読む人が減るのではと不安になりますが。)

あ、あと名前が途中から沢野→澤野になっているのは誤字ではありません。
(その経緯まで本誌で解説されているという。)
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

昔のナムコは青春で想い出をイッパイくれた会社…
…ナムコ開発室の人に「ゼビウス1000万点への解法」を借りて…返すの忘れてたのも思い出した^^;
度重なる引っ越しでブツは消えたけど…これもナムコがくれた想い出って事で^^;;;
記事を読んでるとうるうるします…

Re: No title

かなりの長文にもかかわらず、感想ありがとうございます。

自分はどうもナムコ運が悪いようで、ナムコとはなかなか縁が無い。
(当時、行動範囲にキャロットも全然無かったし)

でも、ナムコの人では中潟さんに一度お会いした事があります。
中潟さんもすごい良い人で、バラデュークの話で盛り上がった思い出があります。

No title

近年開発者の昔のコメントとかよく見かけますが、ようやくこういうものを作れるくらい時が経ったということですかね。
これを読んだ当時ナムコに在籍してた佐藤誠市氏がツイッターで色々つぶやかれててこちらも合わせて読むとまた違った視点見れて面白いです。

あと開発者の名前出しに関しては以前某掲示板で細江慎治さんがこんなことを言われてましたね。何か思うところあったのかなw
「オイラ的には名前出そうってのがポリシーかなと思います。 たまたま不出来な仕事をしてしまった人が「あー今回はダメな作品だから名前だすよのやめよー」 とか言ってたのが不条理に思えて、そんな責任逃れは会社的に関係なくてもしたくはないなーと思ってますが、それが大きくでたのがスタブレかもしれないですね。名前を出すなって言われてニックネームを「UNKO」「Chinko」とかそんなんばかりでした。 シモネタ連発じゃーしょうがないって思ったんでしょうかね?本名をかける事になりましたね(^^ 」

Re: No title

この本は基本的に、澤野さんが知っている(覚えている)話が中心なので。
忘れている部分を当時の他の関係者にフォローされたりするのはいいですね。

細江さんの話も、成功失敗関係なく当時の風潮では名前伏せるとか別段珍しくもなかったのでしょう。
(まあ、現在だと伏せてもまず漏れてしまいそうだけど。)
ねこ自慢

Wayder

Author:Wayder
 
ねこ自慢
http://wayder.web.fc2.com

ニコニコ動画マイリスト
nicovideo.jp/mylist/52529218


※FC2ブログの仕様で非公開コメントに
 対して非公開での返信ができません
 予めご了承下さい

Counter
Category
Calendar
09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
New Article
Form